科学技術振興機構(JST)が実施している「SDGsの達成に向けた共創的研究開発プログラム(SOLVE for SDGs)」において、しれとこ100平方メートル運動をテーマにしたプロジェクトが採択されました。
知床で行われている森林再生の取り組みをベースに、大学や企業などと連携して研究を進めながら、豊かな森林生態系を復元するための課題解決を目指します。
SDGsの達成に向けて、幅広いテーマの地域課題に対して、これまでの取り組みの中で生まれた技術を活用したソリューション(解決策)を創出し、将来的に他の地域への展開を目指す研究開発プログラムです。社会課題に取り組む現場当事者と研究者が共同でプロジェクトを提案し、採択されたプロジェクトは「シナリオ創出」と「ソリューション創出」の2段階のフェーズに分けて進められます。まず「シナリオ創出」フェーズでは、地域がかかえる課題を分析し、それを解決するための具体的なシナリオを創出します。次の「ソリューション創出」フェーズでは、シナリオを基に地域での実証試験を行い、解決策の有効性を示すとともに、他地域への展開を図ります。現在、SOLVE for SDGs知床プロジェクトは「シナリオ創出」フェーズの段階となります。
SOLVE for SDGs知床プロジェクトは、「しれとこ100平方メートル運動地」の森林生態系を対象に、東京大学・知床財団・斜里町ほかのパートナーシップを軸として(SDGsゴール17)、生物多様性を育む原生の森の復元を目指して(SDGsゴール15)、課題解決につながるシナリオを創出し、その可能性を探るプロジェクトです。 このプロジェクトから創出されたシナリオによって、多くの地域で生物多様性に富む森林が増えることになれば、気候変動の緩和にも貢献することになります(SDGsゴール13)。
知床で豊かな森林が復元されていくことで、観光資源としての価値が高まり(SDGsゴール8、9)、地域での自然保護や保全の取り組みも強化されます(SDGsゴール4、11)。また、陸と海の生物多様性が相互に作用する知床では、生物多様性を育む原生林を復元させる取り組みは、必然的に海の豊かさを守ることへも繋がります(SDGsゴール14)。
現在、温室効果ガスであるCO2を大気中から森林へと吸収させるため、世界中で植林が盛んに行われています。多くの国や企業が行っているのは、単一樹種(成長の早い商用種)の植林であり、「木を植える」ことに焦点があてられています。一方、最新の研究では、単一の樹種から構成される森林よりも、様々な種類の樹木が共存する(生物多様性に富んだ)森林の方が高いCO2吸収能力を有することが明らかとなりました。また、単一人工林は他の動植物にとっての生息地としては機能しえないことも指摘されています。「しれとこ100平方メートル運動」が始まった1970年代後半から1990年代後半までは、開拓跡地を早く森へ転換させるべく同じような単一樹種の林(主にアカエゾマツ林の造成)が行われていました。つまり、かつて知床で行われていたようなとにかく「木を植える」活動が、今まさに世界中で進められています。
1997年、当運動では知床に本来あった多様で豊かな生態系を復元する方針があらたに示され、現在の森林再生および生物相復元の取り組みへと移行しました。例えば針葉樹主体の植林地では、種子から育てた様々な広葉樹の苗の移植、重機を用いた間伐やギャップ(日光が差し込む開けた空間)造成によって森林の樹種多様化を試みてきました。木や森が持つ再生産能力を最大限に活かす、いわば「自然の摂理の働き」を意識した生物多様性の保全に資する森づくりが行われています。
知床で行われてきた森林再生の取り組みの中でも、単純な植林地を樹種多様な天然林へと誘導する取り組みは、世界中で新たに造成されている植栽地が、30年後、50年後に直面するだろう課題解決のための重要な実証データになることが期待されます。
また、現在の知床での森林再生事業がかかえる課題は、同じような森づくりに取り組む他地域にとっても共通の課題になると考えています。知床では過去20年以上の間、様々な試行が行われ、同時にそれぞれの試行を評価するためのモニタリングが定期的に行われてきました。しかしながら、それらの試行が長期的(100年後)にどのような成果をもたらすかについては明らかではありません。近年では当運動を支援している参加者の数が減ってきている状況があり、当活動を長期的に継続するためには、持続的な支援(運営資金を含む)の確保も大きな課題とされています。これらの知床での課題を解決することで、他地域での取り組みにとっても有益なヒントになっていくはずです。
SOLVE for SDGs知床プロジェクトのメンバーは、森林再生の取り組みを科学的に実証する大学、現場作業を実践する知床財団、運動を長期的な視点で運営する斜里町、運動を支援する個人・法人企業など、様々な参画者によって構成されています。また、原生林の復元には数百年かかるとも言われており、長期的な取り組みとなることから、未来の研究者となる若い世代にも主体的に参画していただいています。
当運動ではこれまでに、アカエゾマツ造林地にて重機を用いた伐採を行い、適度な空間を開けることで周辺の広葉樹から種子が散布され樹種が多様化される取り組みや、ササが繁茂する開拓跡地では重機でササを掻き起して森林化を促進する取り組みなど、様々な試行がなされてきました。これらの試行をモニタリングして得られたデータを整理・統合し、生態学的な視点から森林再生事業の現状を評価します。
具体的には、これまでの森林再生の取り組みが現在の生物多様性や炭素量にどのような影響を与えているのか、アカエゾマツ造林地での間伐やギャップ創出などの取り組みがどのように樹木の芽生えを促進させているかなど、過去の取り組みに対する現時点での答え合わせをするためのデータ解析を行います。
さらに、解析に使用されたデータを、他地域で得られたデータと比較することで、知床にある特異的な成功要因や一般化できない社会的背景などについて検証します。
iLandとは、1本1本の樹木の生長・枯死・繁殖を時空間明示的にシミュレーションすることができる森林景観プロセスモデルです。気温や降水量、台風などの影響も再現できるほか、人間の介入(植林や間伐)をモデルに組み込むことができます。
このプロジェクトでは、異なる森林施業を実施するモデルで100年後の森林の姿をシミュレーションします。モデルとして組み込む森林施業は、これまでに実施されてきた施業(単一樹種の高密度植栽・間伐による密度調整)に加えて、例えば、本来の原生林に自生するすべての樹種を高密度に植栽した施業や、キクイムシや台風による枯死木を利用した天然更新などが含まれます。参考事例が極めて少ない未開拓の分野ともいえる森林生態系の復元の取り組みにおいては、iLandによる将来予測は目指すべき方向を確認する羅針盤のような役割を果たします。
iLandによるシミュレーションと同時並行で、国民が森林再生事業に対してどのくらいのお金を支払う意思があるかを聞き取るアンケート調査を行います。例えば、仮に原生林に自生するすべての樹種を植林する施業を行うとして、その施業に見込まれる寄付金額を推定します。これにより、異なる森林施業シミュレーションごとの経済評価が可能になり、費用対効果が高い森林再生手法の組み合わせを特定します。
また、協力企業や環境保全NPOなどとの意見交換を行い、炭素オフセット※2や生物多様性オフセットなどの対象地としての知床の可能性及び持続可能な資金調達の仕組みについて検討します。このように、生態学・経済学・社会学が融合した森林再生事業の適応的管理の新たな指針を見つけ出したいと考えています。
毎年開催される「森林再生専門委員会議」にて、①の成果実証と②の将来モデリングにより得られた情報をまとめて報告し、助言をいただきます。また、プロジェクトで発生した想定外の結果(特定の森林施業が生態系の復元に効果的では無いなど)や、失敗も含めて記録に残し、試行錯誤を繰り返しながら有効な森林再生シナリオを創出します。
生態系復元の最後のチャンスとも評される2030年までの10年間に、世界各地で行われている単純な植林活動に代わる知床モデル(自然の摂理の働く多種多様な生物のゆりかごとしての天然林の復元)を確立させ、同じ志をもつ他地域への展開を行います。